201203170219025d4

誓約
1.使用者の命を対価に変身する
2.[1]により変身できる回数は三回である
3.使用者の途中貸与は認められない
――――――――――――――――

 私のような田舎者は都会に出るべきじゃなかった――とOLになった彼女は振り返る。
 都会の人間関係は田舎よりも複雑で、隙を見せればなにかしらの不幸を被せられるような生活に疲れ切も溜まる。
 仲が良いと思ったから話た秘密も、翌日には上手く立ち回るためのアイテムとして利用されてしまった。
 段々と人と関わることが嫌になっていき、元の明るい正確はなりを潜め、彼女はいつも影を背負うようになった。
 
 その頃になると同僚は彼女を小さく虐め始めた。
 学生のような過激な虐めではない。
 ただちょっと仕事の量を増やしたり、はかどらないようにしたり、一人だけお茶が出されなかったりと、小さなことだ。
 小さな小さな、毎日のことだ。

 田舎から上京する時に祖母から渡された、緑の宝石がハメられた綺麗なネックレスを眺めることは、彼女にとって習慣にすらなっていた。
 外で太陽に向けてネックレスの宝石を透かして見れば、世界は一変して綺麗だけになる。
 汚い人間はいない。
 綺麗な世界だけ。

 彼女がネックレスの本来の効力に気づいたのはそんな折だった。
 犯罪組織"バイズアル"は七年前に活動を始め、近年では勢力を伸ばしている。犯罪組織と言うだけあって、日々ニュースで見かける名前はまさに残虐非道と言えた。
 バイズアルは殺し、奪い、蹂躙する。どこに現れ、犯罪を犯すということ以外は何をしでかすか解らない。
 それなのにも関わらず、彼女も含めて都会の人間たちは楽観視していた。どうせうちにはこないだろうと、自己犠牲の欠片もない精神で犯罪者を増長させていた。
 実際バイズアルがこうも勢力を大きくしてしまったのは市民の淀んだ心構えが問題だった。

 そんな犯罪組織バイズアルがある日ターゲットにしたのは一棟のビルだ。
 一階にはファーストフード店、二階以降は会社のオフィスが入っている普通のビルにバイズアルの末端兵士が有象無象になだれこむ。
 黒いマスクに迷彩の上下、なにより派手なマシンガンに会社員達は悲鳴をあげた。

「バイズアルだ! バイズアルが来――」

 言い終わることもできないまま従業員は撃たれ倒れる。出血の量が冗談でも夢でもないことを物語っていた。
 阿鼻叫喚となったオフィス内で甲高い笑い声をあげる末端兵士は、思いのままに銃を乱射する。
 
「ぎゃあ!」
「ひい!」
「助けて!」

 断末魔と悲鳴が行き交い連射音が絶望を作るオフィス内で、田舎から上京してきたOLは自分の机の下に潜り込んで怯えていた。
 幸いにも銃弾は彼女に届かなかったが、いずれは不幸に撃ち抜かれてしまうだろう。
 狂気の笑い声が脳内で何度も揺れて、彼女の恐怖が次第に膨れ上がっていく。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。
 死にたくないよ、助けて、助けて。

 彼女は助けを求めた。
 しかしいかに犯罪組織が現れようと、都合のいいヒーローはこの世界に一度も現れていない。
 警察が到着するのは大分後で、その頃にはもう色々なことが終わっているだろう。
 だけど、彼女は願うしかなかった。
 怯えるしかなかった。
 自分にはなんの力もないのだから。
 
 助けて、お婆ちゃん!
 
 自然と習慣になった緑の宝石を両手で握りしめていた。
 いつも心の支えだったネックレスを握り締め、ありもしないヒーローに助けを求めた時、ネックレスは本来の輝きを取り戻す。
 
 "助けて欲しいか?"
 
 彼女の頭の中に声が、或いは文字が移る。なぜ理解できるのかは解らない。ただ理解できる、そういった類のものだと、なぜか彼女はすんなりと飲み込んだ。

「助けて!」
 "ならば、己で助かるがいい"
 続いて浮かび上がる三つの誓約。
 
 1.使用者の命を対価に変身する
 2.[1]により変身できる回数は三回である
 3.使用者の途中貸与は認められない

 彼女は悪魔の取引なのだと悟った。
 現状を打破するためには受け入れるしかなくて、しかし受け入れてしまえば死期を近づけることは明白だった。

 "助かりたいのなら私の名を呼ぶがいい"

 その名前も彼女はもう知っている。誓約と共に刻まれた名前は、二十歳を過ぎて口にするには気恥ずかしさもある。
 けれど、そんな時ではない。
 今も銃は乱射され続け、悲鳴と命が消えている。
 そしてなによりもこのままでは私が死ぬ。
 彼女は隠れていた机の下から出て、ゆらりと立った。
 
「おほぉ! もう全部諦めたってかぁ? 死にたいってかぁ!?」
 末端兵士が嬉しそうに銃を彼女に向けた。その光景に同僚達は一人残らず馬鹿だと、しかしラッキーだと思った。
 一時でも時間を稼いでくれれば自分が助かるかもしれない、ありがたい、バカ万歳――と。
 しかしバイズアルに振り返った彼女は今までに見たことがないほど笑顔だった。いや、その笑顔は上京したての頃にはまだ持っていた、純朴でどことなく人懐っこい、彼女の武器とも言える笑顔だった。
 祖母に貰った大切なネックレスを握り締め、彼女は囁く。
 
「スイートハニー……」

 突如彼女の全身を緑光が包む。
 優しくも暖かい緑光に包まれながら、彼女の服が溶けて新たな物質に切り替わる。
 膨らみのあるフリルのスカート、可愛らしいリボンの胸元、独特の少女感。
 完璧なロリータファッションに早変わりしたOL、スイートハニーは変身後に絶句した。

「む、無理無理無理! こんなの着れる歳じゃないって!」
 すると優しさなのか、オマケのように現れた仮面が彼女の顔を隠す。
「これで恥ずかしくないだろって? そういう問題じゃ……」

 しかし彼女の恥じらいとは無関係にバイズアルは銃を乱射する。
「なんだお前はぁああああ!?」
 太鼓のリズムとよく耳にするが、そんな振動では済まされないと彼女は思った。銃器の種類が違うことが大要因だが、今はともかく、既に彼女に対して発泡は行われていた。
「きゃっ……あ?」
 しかしいつまで経っても彼女は撃ち抜かれない。不審に思い目を開けてみると、ゆっくりと彼女に向かって飛来する物――銃弾があった。
「すご」
 これが変身の能力だと理解するに難くない。
 とりあえず彼女は弾丸を避けて、末端兵士の後ろ側にでも回ってみた。
 いつまでも世界がスローなので、彼女は解除と心で呟く。
 
「だだだだだだだだだだらぁ!? い、いねえぞぉ!?」
「こっちだよ」
「うしっ!?」

 彼女は兵士に最後まで言わせずに、振り向く前にポックリの靴で思い切り蹴飛ばした。
 すると兵士は天井に叩きつけられてビルを揺らして机の上に落ちる。
 それを見ていた課長はギャグ漫画みたいだと思った。しかし引きつった笑いしか出てこないのは、兵士がぶつかった天井がめり込んでいるせいだろう。

 オフィス内のみが静かだった。他の階からは未だに悲鳴と銃声が飛び交っていて、非現実的なBGMが鳴り止まない。
 逡巡して、歓声があがる。
 掃討される前だったため生存者は多く、恐怖が取り払われた同僚達は彼女に詰め寄った。
 
「凄い凄い!」
「君、スーパーマンだったのか! いや、スーパーウーマンか!」
「ありがとう!」

 ついさっきまで冷遇の視線を浴びせていたというのに手の平を返した態度に彼女は眉を潜めた。
 それでも感謝の声が騒がれる中で穿った見方をする者はいた。
「あんたなんでもっと早くそれやらなかったの?」
 発言した者の腕は銃弾に食い破られて痛々しく壊れていた。
「あんたがもっと早くなんとかすれば、こんなことにならなかったんじゃないの!?」
 その時の被害者は七名。内二名が死亡、五名が重傷であった。腕を抱える者の言い分に正当性がないわけじゃない。
 彼女が"初めて変身した"ということを知らなければ、そんな悪態もついてしまうものだろう。

「……じゃあ死ぬ?」
「ひっ」

 しかし彼女の精神は違う次元で成立していた。
 彼女にとって他人とは自分より弱い者でしかない。
 彼女にとって自分とは弱い他人を助けられる強い者なのだ。

 あまりにも強すぎる力に。
 大きすぎる自己犠牲に。
 日々の鬱屈から開放されて彼女は素直になった。

「三時間か……まだ時間あるなら、行くか」
 今の私ならなにが来ても勝てるだろうと信じて疑わない。
 この力なら、どんなことだってできるだろうと予知のように言える。
 そう考えた彼女は行かないでくれ、ここに居てくれと引き止められる周りを振り切って、地獄絵図を制圧しに歩いて行った。

「ロリータ、仮面……」
 課長は不意にこぼしていた。

 
 
 あの日私はバイズアルを制圧して、結果ヒーローと呼ばれる存在になった。
 派手にマスコミに報道された私には誰が言い出したのかロリータ仮面という名前がついた。ダサい名前だと思うけど、スイートハニーだって旧世代的で負けていないので反論できない。
 そして私の身の回りは色々なことが変わった。
 
「人事、ですか? 私はどの部署に?」
「広報担当とのことだ」
「はあ……私にできることなら頑張ります」
「いやいや、君にしかできないことだろう」

 私はマスコットキャラクターになった。
 会社にとってこれほど有益なマスコットはいないだろう。なにせ世界初のヒーローであり、会社の大きな壁となる驚異として他社に威嚇できる。
 会社は芸能関係には疎かったが、ツテである芸能事務所に私を所属させた。現代社会に置いてヒーローとは芸能人と大差ないらしい。
 私はそれを拒むこともできた。なにせ社長を腰を低くして、寧ろ土下座するように頼み込んできたのだから。
 しかしぶっちゃけると破格の待遇を用意されたものだから首を縦に振った。

 最初の二週間は大変だと思うけど、と言われた通り、確かに二週間は眠る間もない忙しさだった。インタビュー、CM撮影、いいとも出演。
 中には変身してほしいという依頼もあったが変身限度数があるのでもちろん断った。
 世間は誓約を知らない。

 当たり前だ、誓約を知られてしまえばロリータ仮面の弱さが露呈する。
 私の出現によってバイズアルの活動は、少なくともこの都市では行われなくなっているが、変身限度数なんて存在を知られたら喜び勇んでやってくるだろう。
 ……まあ、そんな世相的な問題はどうでもいい。
 知られてしまえば今の私の高待遇がなくなる、その方が問題だから。
 
 私はこの先、二度と変身するつもりはない。しても一度だけだ。その一度をより効果的な場面で有効に活用しなければならない。
 世間は私をヒーローとして持ち上げるけれど、私にヒーローたる資格は微塵もないだなんて、とんだ笑い話じゃないか。
 そう思うでしょ?
 
■□■□■

「うん、大丈夫、だから心配しないで。暫くしたら帰るから、それじゃ」
 久しぶりに両親から電話が来た。無理もない、娘が突然世界的有名人になったのだ。
 しきりに心配する母を強引になだめたけど、なぜだかその心配が胸に苦しかった。
 心配されるような立派なヒーローじゃないからだろう。
 太陽に堂々と胸を晴れない思考を持っているからだろう。
 
「もっとヒーローに向いた人に成って貰えばよかったんだ。……どうしてお婆ちゃんはこんな物持ってたんだろう」
 お婆ちゃんは私が上京して二年目に病気で死んでしまった。
 聞きたくても死人に口なし――そんな風に考えられる自分が少しだけ嫌になる。

 ヒーローの誓約、そして裏ルール。
 誓約と裏ルールの違いがよく解らないけれど、確かに誓約ほど重要ではないといえばそうかもしれない。
 例えば変身時間は三時間ということであったり、いつ何時もルールに変更はないということだったり、誓約のように命に関わることは記されていなかった。

「途中貸与は認められない、か」
 私にとって重要なのはこの一文だ。誓約に定められているぐらいなのだから余程のことだろう。
 途中貸与……仮に途中で私が死んだらどうなるのだろう。その場合は契約放棄とみなされて私の体は開放されるのだろうか。
 でないと私は不死身ということになるだろう。老いても死ねないお婆ちゃんになるのは、流石に受け止められない。
 だけど長生きはしたいな。だから変身は――

 ――近所で爆発が起きた。
 私が住んでいるマンションはヒーローということもあって高層高額マンションなんだけど、十三階の床が揺れるほど激しい爆発だった。
 慌てて窓から覗き込んで見ると百メートル離れた程度のマンションの三階ワンフロアが丸々燃えていた。
 どんな爆発をしたのか解らないけれどあれでは生存者はいないだろう。

 そのことに私はほっとした。
 命を削って助けなくていいことに、ほっとした。
 どうしてだろう、ヒーローになるってこんなにも自分を嫌いになるってことだったのかな。
 
 自己嫌悪の最中、二度目の爆発が大気を揺らす。
 まだ犯行は終わっていなかった。
 さっき爆発したフロアの一つ上が爆発し、一気に炎上した。一つ下のフロアが爆発した時点でもう生きていなかったかもしれない、そう自分を落ち着かせるが――違う、そういうことじゃない!

 この犯罪を行っているのはきっとバイズアルだ。犯行手口があまりにも派手すぎる。
 そしてバイズアルの今回の計画を知った人は私だけじゃない。
 きっと私以上に絶望を背負った人たちが、あのマンションの上階で助けを待っている。
 
 時間差爆発。
 下の階から順番に爆発することによって、上の階の人は上に逃げるしかなくなる。しかし時間稼ぎでしかないそれもいつしか限界がきて、住民は軒並み炎に食われてしまう。
 でも、私の早とちりかもしれない、そんなことを考えたから――どんっと三度目の爆発が起きた。
 その爆発で逃げきれず死んでしまった人がいるのだろうと考えると、なぜか笑みを零してしまっていて、どうしようもない感情が涙も一緒に運んでくる。
 
 嫌だ、嫌だ、私は生き延びたいから契約したんだ。
 誰かを助けるために契約したんじゃない。
 私だけが生き残って、これからもずっと生きて行きたいから、だから!
 
「スイートハニィィィィィィィィィイイイ!」

 緑光が私を包む。
 歳不相応な服が私を嘲笑う。
 顔を隠す仮面を付けて、私はベランダから飛び降りた。

 助けて――私はもう変身したくない。
 
 

『ロリータ仮面、またもお手柄!』
 そんな見出しの新聞を私は無気力に床へ落とした。
 確かにあの時、爆発から逃れる人たちを必死に地上へ下ろして、予想以上の生存者が助かったみたいだけど、だからって気分が良くなるわけじゃない。
 私の命はもう三分の二が減ってしまっているのだ。
 残り三分の一しかないのだ――有頂天にはしゃげそうもない。
 
 仮にこんな力を持って、正義を執行できるヒーローがいるとしたら、そいつはただの自殺志願者だろう。
 喜んで死ににいくヒーローなんて、いっそヒーローじゃないんじゃないかな、と思ったりもするけどどうなんだろうね。
 少なくとも私は死にたくない。
 死――浮かび上がった現実に全身が震えだす。もう、もうだめだ。
 私は二度と変身しない。二度と誰にも会いたくない。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 
 インターフォンが鳴っている。またマネージャーって人がやってきたのだろう。
 積まれた道化の仕事が舞い込んでいるのだろうけど、それで万が一誰かを助けなければならない事態になったらどうするっていうんだ。
 人殺し、そう、お前達は人殺しだ私に関わらないでほしい。
 そうだ……家に帰ろう。田舎に帰ろう。実家でずっと、蝉のように潜んでいよう。
 
■□■□■

 窓を通りゆく景色が連なりのように重なって不思議な世界を彩っている。
 家に帰ると決めてこの新幹線に乗ってからは、重圧が僅かばかり減ったような、そんな気がした。
 隣の席は誰も座っていなかったからずっと空席だと思っていたんだけど、発射してから十分ほど経って人が座った。
「しつれーしますっ」
 ぺこり、と。少女にも満たないだろう子供が隣に座る。背中にはリュックサック、右手にはお土産袋。

「こんにちわ、お父さんとお母さんは?」
「こんにちわー、おうちだよ」
 幼女は心なしかドヤ顔で答えた。一人で旅行している自分、大人――な自信なのだろうか。
 可愛い子には旅をさせろと言うが、こんな小さな子を一人で旅行させるなんて凄い両親だ。
 良い行いか悪い行いかは別として。
「そっか、偉いね」
 すると幼女は照れ臭そうに微笑んだので、小さい子って可愛いなと思うことができた。
 
「おねえちゃん」
 窓の景色を眺めて時間を過ごしていると、隣の幼女が突然呼びかけてきた。
 どうしたの? と聞かなくても呼ばれた意味を知った。幼女は右手にみかんを持っていた。
「どうぞ」
 両親に聞いたのだろうか。はたまたお婆ちゃんに聞いたのだろうか。旅は道連れ世は情けと言うものの、しっかりした幼女だ。

「ありがとう」
 受け取らないわけにもいかないのでありがたく頂いた。幸い私は潔癖症ということもなかったし、幼女ばい菌を気にすることなく食べられた。
「貴方はどこまで行くの?」
 なんとなく聞いただけで特に意味はない。
「えと、えっとね……たかさか」

 高坂と言えば私の田舎の手前だ。なんの因果か隣になってしまったことだし、なにかあった時は手伝ってあげよう。
「そっか。じゃあ、なにかあったら手伝ってあげるから、遠慮せずに言ってね」
「だいじょうぶだよ、できるもんっ」
 最近の幼女はしっかりしてる。それに張り切る小さな子供は、無条件に愛らしいものだ。
 
 彼女のお陰で憂鬱な気分を完全に近いところまで取り払うことができていたというのに、望まれない来客に私は絶句した。
「ヒャッハッハッハー! この電車はジャックさせていただきましたーァ!」
 なぜ今なんだろう。なぜ今日、この電車なんだろう。
 初めて変身した日から僅か一ヶ月半で三度目だ。運命が捻くれているとしか思えない有様だ。

 ふと幼女に視線をやると既に恐くて堪らないのか、瞳には少量の雫が浮かんでいた。ぐっと拳を握りしめて耐える様に私は深く心を抉られる。
 だからって私にどうしろと言うんだ。私だって、私だって生きたい。また変身してしまったら、もう私は死んでしまう。それは絶対だ。あの誓約は嘘だとか偽物だとか、そんな優しさが滲みすらしていない。
「さてさてさァて!? どうしちゃうっかなァー!?」
 電車ジャックをしたらしい屈強な男が派手なマシンガンを振りかざして乗客を脅している。私は今できる精一杯のこととして、彼女の肩を抱いてそっと頭を撫でた。
 
「大丈夫、大丈夫だからね」
 腕の中でこっそりとぐずる彼女は、やはりこの年齢にしてはしっかりしていると思う。私が子供だったら大泣きしていたかもしれない。
 今だって大泣きしたい。
 ごめんなさいって大泣きしたい。
 
 変身しなくてごめんなさい。
 これから何人死のうと、どれだけ死のうと、見捨ててしまってごめんなさい。
 私は死にたくないんです。
 これからもほどよく長生きしたいんです。
 だから、だから……許してください。
 
「いいの発見しちゃったァー?」
 その声はやけに近くで聞こえた。なにせ、目の前で発されたものだから。
 バイズアル末端兵士は見つけたいい物を自分の物にするため手を伸ばす。やめてくださいと抵抗する私の声も虚しく響いて。
「おねえちゃん!」
 少女は兵士に捕まってしまった。
 
「こいつぁ上等、いい鳴き声しそうだなァ」
 兵士は私が見てきた中で一番異常だったような気がしたけれど、バイズアルの兵士はそもそも異常なので比べるなんて馬鹿らしい。
 やめろ。
 そう呪ったところでなにも届かない。どれだけ睨みつけようと、寧ろそれがスパイスだと言わんばかりに兵士は醜い笑みを浮かべる。
 ふざけるな。
 怒りの矛先は兵士だけでなく、段々と全てに向いていく。

 私が変身すれば彼女は助かる。それは間違いない。けれど、お前らはなんなんだ。ヒーローじゃないからって、ヒーローじゃなければ彼女を見捨ててもいいのか。
 仮にこの乗客が全て発起して彼女を助けようとすれば、もしかしたら誰も死なずに助かるんじゃないのか。
 勇気がない? 違う、お前達は勇気がないんじゃない。
 
 コトナカレなんだ。
 
 自分に降りかからなければそれでいい。この場を過ごせて、また明日を迎えることができればそれでいい。
 たとえ幼い子供が変わり身で死のうと。
 自分が死ななければそれでいいと――

「おねえちゃん!」
「姉ちゃん姉ちゃんうっせえなァ? そんなに大事なら、殺しておくかァ!?」
 私に銃口が向けられる。変身もしていないのに向けられる鉄の塊は、予想以上に殺意が溢れていて、心臓をぎゅっと鷲掴みにする恐怖があった。

 ――それなのに、彼女は。
「お……っ」
 必死に、子供なりに口を閉じた。私の名を呼んでしまえば私が殺されてしまうから。
 誰もが自分のことしか考えていない電車の中で、彼女だけが他の人のことを考えて口を閉じたのだ。

「おうおゥいい子ちゃンだなァ!? だから殺しちまゥかっはっはーァ!?」
 私は銃口を握る。
「なァにしてんだてめェ」
 男の声も介さずに立ち上がる。
「あんま調子こいてっと死ぬぞォ? あァ!?」
 そして――私は口にする。
 
「おねえちゃん、だめ!」
 きっと彼女はそんなつもりで言ったわけじゃない。私がヒーローだなんて知らないだろうから。
 だけど、私はそう解釈してしまった。
 彼女だけが最後の最後に味方をしてくれたのだと考えたくなった。
 でもきっと、心優しい彼女なら、私の全てを知ってもそう言ってくれたかもしれない。
 おねえちゃん、だめ――と。

 だから、ありがとうと私は結んで、続けた。
 
「スイートハニー」

 緑光が体を包み、ぼんやりと膨らんでいく。
 着ていた服が破れていき、どこからか現れたフリルのスカートと緑のリボンが付いたブラウスがきゅっと身を引き締める。
 厚底の靴にレースのグローブ、花があしらわれた帽子とそして仮面が舞い降りた。

「て、てめぇァ!?」
「私? 私はスイートハニー」
「おねえちゃん……ロリータ仮面だったんだぁ!」

 きらきらと煌く瞳をこちらに向ける彼女をもちろん助けるけれど、その名前はやっぱり受け入れ難いセンスがあるな。
 良しとしましょうか。
 華麗に助けて彼女のヒーローになれるなら、ね?
 
 

 全車両のバイズアル兵士を制圧した私は元の席へと戻った。もちろん、変身した姿のままだ。
 助ける度に喝采が起きていたけれど、私はその喝采に喜びを見いだせなくなった。
 自分で助かろうとしないなら、もう貴方達は人間じゃない。
この中で人間だったのは唯一、彼女だけだ。

「おねえちゃんヒーローだったんだね! すごいすごい!」
「ヒーロー、か……うん、そうなんだ。ありがと」
「わたしもおねえちゃんみたいになりたい!」
「私みたいに……? ふふ、そんな必要ないよ」
「どうして?」
「貴方はもう立派なヒーローだから」

 体内時間よりも正確な時間が頭の片隅で流れていた。
 ひっくり返された砂時計はもう、残り僅かだ。
 私を最後の最後でヒーローにしてくれた幼いヒーローの頭を撫でる。貴方に出会えてよかったと、今では心から想うことができる。
 
「ねえ」
「?」
「貴方はそのまま変わらないでね」
「?」
「力なんてなくっても、貴方はそのまま、ヒーローでいてね」
「うん!」
「ふふ……ありがと」

 私の力が途端に抜けた。
 どこかに吸い込まれていく、そんな力に意識が飲まれて。
 私は静かに目を閉じた。

■□■□■

『ロリータ仮面、消失!?
 新幹線ジャックをしたバイズアルを制圧したロリータ仮面ですが、なぜか最後は砂となって消えてしまったようだ。彼女に助けられた人たちは失われた彼女の存在に畏敬の念を込めずにいられないだろう。

 自警団設立。
 遂に国民が立ち上がった。度重なる事件を警察や軍隊だけではなく、守られるだけではなく共に守り合おうと自警団が設立されたようだ。自警団の主な活動は見回り等をそうだが、いずれは国民の全てを自警団としたいと、意識改革に向けて進んでいる。
 専門家によれば自警団の設立には故ロリータ仮面の存在が大きいとされていて、彼女によって国民の目はバイズアルに注目した。そのことが自衛意識を高めた最もな理由だろうとのことだ。』
 

 体だけではなく服までもが砂と化したOLの横で、年端もいかない女の子は崩れ落ちた砂の中から輝く緑の石を見つけだした。
 彼女は幼いながらも、命を削って自分を助けてくれたのだということをぼんやりと理解する。
 ありがとうと心の中で膨らむ想いを、両手で握る緑の石にいつまでも送り続けた。



ロリータ仮面の章――終


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この話は小説家になろう様で同時投稿しています。
どちらが読みやすいかは解りませんが、暇つぶしになれば幸いです。